―米本土の直接防衛に日本の基地を使用―
奥尻島西方190kmにミサイル防衛作戦区域
独自調査で日本海パトロールの実態を暴く
梅林 宏道
2006年9月
数か月にわたる調査の結果、ミサイル防衛任務をもった米海軍のイージス艦の日本海パトロールの実態が、初めて明らかになった。パトロールとは、日本海をウロウロと動き回って監視しているのではない。「ミサイル防衛作戦区域」と呼ばれる海域を設定し、そこに集中的に滞在する監視・追跡体制を構築しようとしている。そのような「作戦区域」が、奥尻島西方190kmに設定されていることが確認できた。とは言っても常駐体制とはほど遠く、試験段階に過ぎないことも明白になった。調査の鍵となったのは、横須賀を母港とするイージス艦「カーチス・ウィルバー」「フィッツジェラルド」「ジョン・S・マッケイン」の航海日誌である。
●航跡を見る
米海軍は、2004年10月1日から、日本海において北朝鮮からの弾道ミサイル発射を想定した弾道ミサイルの監視・追跡活動を開始したことを認めていた。また、AP通信は、同日、任務に就いた最初の軍艦が横須賀を母港とするイージス駆逐艦(アーレイバーク級)カーチス・ウィルバーであること、他に同種のフィッツジェラルドとジョン・S・マッケインであることを米海軍役人が確認したことを伝えていた。
筆者は、これら3艦の航海日誌を、ワシントンDCの海軍歴史センターで閲読し、その実際の航跡をたどることによって、日本海パトロールの実態調査を試た。まず、その結果を見てみよう。
◆カーチス・ウィルバー(DDG54)
カーチス・ウィルバーについては、04年9月1日〜05年1月31日の5か月の航海日誌を閲覧した。2月以降の日誌は未着であった。
04年9月27日、横須賀を出航。航海日誌には、その時から行き先を「日本海」と書いていた。9月30日に「00:00 BMDを支援して、以前と同じように日本海を航海中」と初めてBMD(弾道ミサイル防衛)の記述が登場した。10月1日も「00:01 監視の任につく。前と同様、BMDを支援して日本海を航行中」と書かれていた。ただし、この時の監視という意味は、航海日誌に常に登場する日誌担当者の勤務を意味する。
10月9日には、対馬海峡に向かうが行き先を「BMDステーションから対馬海峡へ」と書いている。「ステーション」は定まった作戦区域を指す言葉である。また、「BMDステーション」はしばしば「MODLOC」と記載されている。この言葉も航海日誌に頻繁に登場する言葉であるが、BMDに限らず恒常的に使用される海域を指す。海軍歴史センターの専門家に訊いたところ、「頻繁に使うが多分「modular location(標準海域)」ではないかと言うことで明確ではなかった。(資料1)(資料2)
本論では、他の軍艦の行動も合わせた分析の結果、後に述べるような共通の海域を「BMD作戦区域」としたが、カーチス・ウィルバーは、約10日間、そのBMD作戦区域で任務に就いたことになる。
航跡図を見ると一見、日本海を往復パトロールしているように見えるが、そうではない。10月9日に台風22号が紀伊半島沖を北北東に進んでおり、台風避難の行動を取ったために日本海を往復した形になっている。
10月16日、佐世保に寄港し、その後10月26日、横須賀に帰港。その後は、沖縄作戦区域、フィリピン沖作戦区域方面へ25日間の演習に出かけた。横須賀に帰港後は、10日間修理ののち、鹿児島に寄港。12月9日に横須賀に戻って修理とクリスマス休暇。1月末まで基本的に横須賀に停泊した。
◆フィッツジェラルド(DDG62)
フィッツジェラルドに関しては、04年10月1日〜05年2月28日の5か月の航海日誌を閲覧した。3月以降の日誌は未着であった。
04年11月29日に横須賀を出航するまで、10月と11月は基本的に横須賀に滞在した。29日、出港時から行き先を「BMDステーション」と書いた。12月1日の日誌の行き先は「BMD作戦区域(oparea)」と書かれている。この二つは同じものを指している。なぜならば、同日午前0時の日誌本文には「00:00監視を継続。日本海を単独で(ise)BMDステーションへと航行中」と書かれ、同日の深夜23時には「23:00監視を継続。日本海を単独で航海中。現在はBMDステーションにいる」と記述されているからである。
フィッツジェラルドの場合、かなり本論で特定した作戦海域を超えて広範囲にわたってBMD活動を行っている。作戦海域は、複数設定されていく可能性もあると考えられる。周辺に滞在する期間も含めて約9日間BMD作戦区域の活動を行っている。(資料3)
12月17日、フィッツジェラルドは釜山に寄港、その後横須賀に向かって12月22日、横須賀に帰港した。クリスマス・新年を横須賀で過ごすとともに、05年2月7日まで基本的に横須賀に停泊した。同日、舞鶴に向けて出港、舞鶴に寄港の後沖縄作戦区域へ向かった。2月18日、沖縄作戦区域から香港に向かい21日に寄港した。25日に香港を出港し、沖縄作戦海域に向かった。
◆ジョン・S・マッケイン(DDG56)
ジョン・S・マッケインに関しては、04年10月1日〜05年3月31日の6か月の航海日誌を閲覧した。4月以降の航海日誌は未着であった。
04年10月21日、マッケインは横須賀を出港して沖縄、東シナ海で演習、11月22日に帰港した。まず、この期間、マッケインはカーチス・ウィルバーに代わって日本海でBMD任務に就くことができたのにそうしなかったことに注目しておきたい。米海軍は、常時、日本海パトロールをするという体制をとっていなかったのである。
東シナ海からもどったあとは、横須賀に停泊した。そして、05年1月13日、佐世保に向かうが、途上である14日の行き先欄には「BMDステーション」とあり、最初から任務は明確であったことを示している。16日に佐世保に寄港し、17日に佐世保を出港するが、その時の行き先欄には「BMDステーション」と明記された。
佐世保を出てから、韓国の浦項沖で滞留しているが、RAS(海上補給)ボックスという記述が航海日誌に書かれており、併走しながら補給艦から補給を受けるために待機したと思われる。また、マッケインの場合、その後の航海日誌にはBMD作戦区域という単語は登場しない。しかし、後述するように、本論が定義する「BMD作戦海域」とピタリと一致する狭い海域で作戦行動に従事している。行動期間は比較的短く、5日間であった。その後まっすぐ横須賀に向かい、1月29日に帰港した。
横須賀に寄港後、数日をおいて2月3日、マッケインは小樽に向かい、2月5日〜9日まで小樽に滞在した。小樽を出て日本海を航海するが、韓国の鎮海に11日に寄港するまで、ほぼ真っ直ぐに航行しており、BMD監視・追跡任務に就いていないと思われる。小樽寄港は直接の監視・追跡任務とは切り離して行われている。(資料4)
◆レイク・エリー(CG70)
ここで一言、イージス巡洋艦レイクエリーについて触れておく。同艦は海軍MDの迎撃ミサイルであるスタンダード・ミサイル3(SM3)の発射テスト艦であることが知られている。04年9月22日に横須賀に帰港し、10月11日に新潟に寄港した。そのため、10月1日からのミサイル防衛のための日本海配備と推測された。
筆者は、9月、10月のレイクエリーの航海日誌も閲読、分析した。その結果、筆者は、同艦の西太平洋配備は、イージス駆逐艦のような10月から始まったMD監視・追跡のための配備ではなかったと結論づけた。もちろん、新潟寄港にはMDを想定した慣熟航海・寄港の意味があったであろうし、同じ時期に日本海にいたカーチス・ウィルバーと何らかの連携演習を行った可能性は否定できない。直接のレイク・エリーの配備目的は、米海軍が発表した通り、フィリピンや沖縄海域における大規模演習への参加であった。
●「BMD作戦区域」
以上のように、3艦は、この期間1回ずつBMD監視・追跡作戦に従事するために日本海に配備された。それに関係した航海の航跡図を、図1、図2、図3に示した。これらの図は、航海日誌に記録されている緯度、経度を地図上にプロットして、我々が作成したものである。
図で明らかなように、3隻のイージス艦は、北海道の奥尻島西方にある決まった地域において滞留し、監視・追跡作戦に従事している。しかも、この地域は航海日誌に「BMD作戦地域」あるいは「BMDステーション」と記載されている地域である。この作戦区域における航跡を拡大して図示すると図4のようになる。これは、地図と同様に、航海日誌にある緯度、経度をプロットしたものである。この図によって、奥尻島西方約190kmである北緯40度05分、東経137度06分を中心に約80km四方に集中して作戦が展開されていることが判る。これは、重要な新事実であり、この海域を本論では「BND作戦区域」と考えることにする。
これが意味する重要なことは、日本海パトロールとは、日本海を巡回しながらパトロールする作戦行動ではなく、作戦海域を設定した監視・追跡作戦であるということである。後に説明するように、これはミサイル防衛局長の議会証言から推定される内容とも一致する。
●ローテーション
次に、3艦のローテーションを見やすくするために、配備状況を時系列に並べた表1を掲げた。カーチス・ウィルバーがMD作戦区域で活動してから、フィッツジェラルドが同区域に展開するまで、約45日の期間がある。さらに、マッケインが次に配備されるまでやはり約45日の期間がある。この間に、3艦以外のイージス艦がMD作戦区域に配備されたかもしれないという事実を完全に否定することは出来ない。しかし、それは極めてありそうにないことである。長距離監視・追跡能力を持ったイージス艦が限られているし、他の軍艦の日本への寄港情報はない。したがって、45日という間隔に厳密な意味はないであろうが、現時点では、3艦が交替で限られた期間のみ、監視・追跡任務に携わったと考えられる。
つまり、米軍のMDパトロール体制は極めて限定的な試験段階であることが、われわれの調査で明らかになった。常駐配備などとはほど遠い現状である。
●現状分析
以上のような調査結果は、何を意味するのであろうか。05年3月15日、米下院軍事委員会戦略戦力小委員会においてオベリング3世ミサイル防衛庁長官が行った議会証言が、この調査結果を分析するのに極めて重要である。
オベリング3世は、ミサイル防衛を試験的に一歩一歩配備してゆく方法論を説明した後、昨年(04年)のMD初期配備開始の目的は、北朝鮮の長距離ミサイルに対する米本土防衛であったとはっきりと述べている。一方、同盟国や在韓米軍・在日米軍の防衛は「移動式迎撃体の増強」で対応するとしている。これはパトリオット(PAC3)部隊の韓国への配備や日本の購入を指しているであろう。
さらに、オベリング3世は、10月1日からの初期配備について、日本海のイージス艦の長距離監視・追跡情報によってアラスカのフォート・グリーリーもしくはカリフォルニアのバンデンバーグ基地の地上迎撃ミサイルを発射して迎撃するという明確なシナリオをもって進められていることを証言している。また、「戦闘管理システムに長距離監視・追跡データを提供するために日本海に定期的に配置されている」と述べているように、監視・追跡データと戦闘管理システムと迎撃ミサイルの発射管理システムを結合した運用が行われているのである。したがって、現在の日本海定期パトロールは、常時の監視・追跡そのものよりも、地上配備迎撃ミサイルとの連携訓練、つまり統合システム全体の演習が中心と思われる。
そのような目的から考察すると、日本海における作戦場所として選定された「BMD作戦区域」が奥尻島西方190km付近であることは、たとえばテポドン(大浦洞)から米国のハワイやロサンゼルスに至る大圏(最短軌道)の下に位置していることから理解できる。また、常駐するのではなく、定期的に交替で監視・追跡任務に就いていることも理解できる。(図5)
ただし、誰もが疑問に感じることであろうが、米国は北朝鮮の長距離ミサイル攻撃を本当に脅威と感じているのだろうか。答えは「ノー」とも言えるし「イエス」とも言える。ひとたび「脅威の仮説」の下に走り出した現ブッシュ政権は、ひたすら仮説を肥大させて走り続けざるを得ないのである。何という愚かな資源の浪費であろうか。潤うのは軍需産業ばかりである。
●米本土防衛の基地・横須賀
ここに日米安保関係に新しい状況が生まれたことを認識することが重要である。米国は、直接的に米本土防衛のための軍事活動を在日米軍基地を使って始めたのである。これは、日米安保条約では許されていない活動であり、少なくとも新しい国会議論を起こさなくてはならない。最近、政治家や報道関係者が、軍事活動は法律に基づいてのみ許されると言う、法の支配、あるいはシビリアン・コントロールの原点を忘れようとしていることに警鐘をならしたい。
冷戦時代、中曽根首相が日本を不沈空母にすると言ったとき、米国は対ソ前進基地として日本を使った。しかし、その時は安保条約に定められた日本防衛と一体の軍事行動であると主張することができた。しかし、今度はそれとは違って、純粋に米本土防衛の活動を日本の基地を使って行っているのである。思いやり予算によって、この直接活動に携わる兵員を支援することは、集団的自衛権の行使ではないか。このように、横須賀基地に新しい性格が加わったことを銘記する必要がある。
膨大な量のデータの分析や作図に当たって下さった藪玲子さんに感謝したい。また調査の一部を林公則君に手伝っていただいた。
(追記) 日本海パトロールを中断
その後の調査の結果を報告する。
調査は、上記3艦の他に05年6月17日に旧型駆逐艦に代わって横須賀に配備されたイージス駆逐艦ステザムについても行われた。表2は、前回掲載した表の概略にその後得られた4隻のイージス駆逐艦の行動をつなげてまとめたものである。
重要な知見は次の3点である。
1.カーチス・ウィルバー、フィッツジェラルド、J・S・マッケインの3艦とも、それぞれ前回報告したBMD任務を最後として、それ以後少なくとも約5か月半の期間、BMD監視任務に就いていない。J・S・マッケインはその後小樽に寄港し、日本海を経由して韓国の鎮海に向かったが、監視任務に就かず直行している。
2.その結果、少なくとも05年2月、3月の丸2か月は、米イージス艦による日本海におけるBMD監視はまったく行われていない。
3.ステザムが横須賀に来る前に先に日本海に配備されたという記録はない。したがって、上記の知見に変更はない。
これらのデータは、過去3回行われた日本海におけるBMD監視・追跡任務は、「常時の監視・追跡そのものよりも、地上配備迎撃ミサイルとの連携訓練、つまり統合システム全体の演習が中心と思われる」と結論づけた前回報告の妥当性を裏づけるものである。実験の結果、その後の活動を中断(あるいは再検討)しているのであろう。
さらに、この事態は、イージス艦の監視・追跡情報を受けて飛来ミサイルを迎撃する地上発射迎撃ミサイル(アラスカのフォート・グリーリーとカリフォルニアのバナデンバーグ)の配備方針の変更が伝えられている(UPI、05年10月13日)ことと関係があるかも知れない。
参考資料
1. ミサイル防衛庁長官の議会証言(抜粋)空軍中将オベリング3世
2. 「カーティス・ウィルバー」「フィッツ・ジェラルド」「ジョン・S・マッケイン」の
航海日誌の一部
3.カーティス・ウィルバーの2004年度司令官年次報告の一部
4.フィッツジェラルドの2004年司令官年次報告の一部